川口アサリは美味しいあさり(堤裕昭教授レポート)



熊本県立大学

環境共生学部生態・環境資源学専攻

海洋生態学研究室 
堤 裕昭 教授







日本一、アサリの獲れる場所

 熊本市南側を流れる一級河川緑川の河口には、日本最大の河口干潟(2,200 ha) が広がっています( 写真1) 。
この干潟は、大潮時の潮位差が5m を超えること、有明海の中央部に位置していることから潮流が速く、泥の干潟が岸近くに広がる一方で、干潟中央から沖合に向けては、砂の干潟が広がっています。その砂の干潟の中央部に、川口漁業協同組合が漁業権を持つ区画があり、もとより日本一アサリの獲れる干潟(漁協) として全国に知られてきました。


写真1  緑川河口干潟。大潮時に、沖出し約5km にも
およぶ広大な砂質の干潟(2,200ha)が現れる。


1970 年代後半の川口漁業協同組合のアサリ漁獲量は年間約36,000 トンに達し、これは現在の日本全国の年間アサリ漁獲量にほぼ匹敵します。毎日、アサリの豊漁に沸いていました( 写真2) 。ところが、1980 年代になって、漁獲量が急速に減少し始め、1993 年~1995 年はほぼ休漁状態に陥りました。その原因は乱獲というような単純なものではなく、休漁しただけでは一向に漁獲量は回復しませんでした。この頃より、このアサリ漁の危機的な状態を脱する努力が、現在の藤森組合長を中心に始まり、熊本市や熊本県の水産部局の協力を得て覆砂事業に取り組み、干潟での新たな砂の堆積を促進しました。さらに私の研究室をあげてアサリ生態学的な研究や漁獲量激減の原因究明の研究に取り組み、その研究情報を提供してきました。



写真2  川口漁業協同組合の港に水揚げされるアサリ。
それぞれの漁船には、1 トンのアサリが積まれている。
(1978年2月9日、川口漁業協同組合撮影)



2000 年代に入って、これらの努力の甲斐あって、漁獲量が徐々に回復してきました。現在、川口漁業協同組合のアサリ漁獲量は年間約2,000 トン超えています( 写真3) 。最盛期に比べればまだ随分少ない量ですが、全国のアサリ漁獲量も大幅に減少している今、1 つの漁業協同組合の年間漁獲量としては、この量を上回るところはないはずです。



写真3  緑川河口干潟で再び獲れるようになったアサリ。(2002年6月、堤裕昭教授撮影)



良質な味の川口アサリ

川口漁業協同組合は、アサリの漁獲量だけで秀でいているわけではありません。緑川河口干潟から獲れるアサリは、格別に身が柔らかく味がいいのです!それは食べて見なければわからないと言われるでしょうが、食べたことがない方でも納得できる緑川河口干潟ならでは2つの理由があります。

 その第一の理由は、緑川河口干潟の面積の大きさと潮流の速さにあります。アサリ漁を行っている中央から沖合側の干潟では、梅雨期や台風シーズンに大雨が降って、緑川から大量の土砂が流れ込んで堆積しても、細かい泥分はすぐに潮流に巻きあげられて、干潟の岸近くか、沖合に運ばれて堆積します。そのため、アサリは常に泥分がわずか数パーセントにも満たない酸素のよく通ったきれいな砂の中に棲むことができます。通常、そのようなきれいな砂の中には餌が少なく、アサリはなかなか成長できません。ところが、この干潟には速い潮流があります( 引き潮の最大流速は、海水の表面ではなんと秒速1m にも達し、川の水のように流れていきます。) この干潟では、岸近くの泥が堆積した場所では、その表面に「潟の花」と呼ばれる珪藻類( 植物プランクトンの1 種) が繁茂しています( 写真4) 。それを無数のムツゴロウやカニ類が餌としていますが、速い潮流はその珪藻類を毎日水中に表面の泥ごと巻きあげては、引き潮の時に岸から沖合方向へ運び去ります。干潟の中央から沖合側のアサリの生息地は、ちょうどその巻きあげられた珪藻類が沖合へ流れていく途中にあります。そのため、この干潟では、アサリはきれいな砂の家の中に住んで、その家から水管を出して、外を流れていく餌を吸い取って成長することができます。






写真4( 左) 緑川河口干潟の岸近くに堆積した泥の表面に繁茂する珪藻類「潟の花」。
( 右) 泥の表面を顕微鏡で観察したところ。その中には、無数の珪藻類が見える。
堤裕昭教授撮影


 第二の理由は、アサリの成長の速さにあります。緑川河口干潟は九州の西岸の有明海の中央部にあります。南国であることに加え、有明海は対馬暖流の影響を受けています。そのため、冬季の水温が10℃ より下がることはまずありません。アサリは、もともと餌条件がいいことに加えて、水温が高いので、冬を通して成長が止まることがありません。その成長の速さ故に、出荷されている貝の多くは生後1 年半程度のものです。「緑川のアサリは殻が割れやすい。」という話も耳にします。市場まで輸送するときに、貝の殻が割れやすいと都合がわるいのでしょうが、それはこのアサリの食品としての質の高さを象徴する性質の1 つです。あまりの成長の速さのために、殻はどうしても薄くなりがちですが、自然の栄養条件が良い場所で育った若齢の貝の肉質は柔らかく、美味なのです。仔牛の肉が食通に好まれることと同じ理由です。川口のアサリは大事に取り扱ってください。それだけの価値のある食材です。




緑川河口干潟の生態系よ。永遠なれ!

 日本に残された最大の河口干潟。そこは手つかずの自然というよりも、おそらく日本の歴史を通して、人がアサリやハマグリを獲って、生活の糧に利用してきた干潟です。でも生態系が壊されることなく、人の生活と共存してきました。このわずか数十年間のことです。

この干潟をはじめとして、有明海の東岸に広がる砂質の干潟で、もとは豊富に生息していたアサリをはじめとする二枚貝類が、その棲息量を劇的に減少してしまいました。当然のことながら、そこには近年の人間社会の活動の影響を受けた結果としか考えられません。

そのもっとも大きな理由の1 つには、1960 年代以降の主要河川における大量の川砂利採取にあります。この砂利がコンクリートの材料となって、川から消え、干潟に流れてこなくなりました。この緑川河口干潟における覆砂によるアサリ漁の復活は、この川砂利大量採取の影響を反対に意味で実証することになりました。川は水の流れだけではなく、山で浸食された土や岩が泥や砂となって下流に流れ、干潟に堆積するという流れもあります。



有明海沿岸では100 年で約1km 土砂の堆積によって干潟が沖へ沖へと成長を続けてきました。最近、この干潟の成長が止まり、貝類が大幅に減少した生態系ができています。 緑川河口干潟をはじめ、有明海に面した熊本県の干潟で、貝類の生態や干潟生態系全体についての研究をはじめて、はや十年の歳月が流れました。

その中で、日本に残された最大の干潟生態系の現状を目の当たりにして驚きを覚えるとともに、この干潟の生態系を復活させ、アサリ漁獲量を回復させ、ここに有史以来、日本人がその自然ととも歩んできた生活の営みを、これからも絶えることなく続けていけることを願って、研究を続けています。

その研究成果は緑川河口干潟のアサリ漁復活の助けにはなってきたと思いますが、まだ、まだ、最盛期と比べると漁獲量は1/10 程度にしかすぎません。この美味なるアサリをさらに復活させるために、川口漁業協同組合の方々と協力してさらに研究を進めていきたいと思っています。